8章 

 福祉施設で働きはじめて一年が経ち、職場までの坂道に赤と白のハナミズキが交互に花を咲かせていたとある休日。

 家を出て九年ちかく経つ兄が、婚約者を連れてくるというので、以前に比べれば客の減った我が家もひさしぶりに活気付いていた。
 
 母は、朝から、食卓に並べる品々の名を連ね、「これでいいわよね」と、父ばかりか全く相談相手にならぬ私にまで意見を求め、父は父で、「ビールはたりるかな」「ジュースもいるな」と冷蔵庫を開けてはコンビニに出かけたりと、ともかく落ち着かなかった。

 そして、私はといえば、一年早かったなら貴重な休みを邪魔されることに腹を立て遊びに行ってくるなんて言い出していたかもしれないが、精神的に余裕があったのだろう。無関心をよそおいながらも、兄がどんな人を連れてくるのか楽しみにしていた。

  約束の十二時を十分過ぎてベルが鳴ったのを覚えているのも心待ちしていた証拠なのだが、「来たぞ、来たぞ」と、父母がせわしなく玄関に出ていってもソファーから立ち上がりはせず、彼女が居間に入ってくるのをじっと待った。兄が連れてくる女性だ。地味な大人しい人に違いない。「はじめまして」というか細い声を聞き逃すまいと私は耳をすました。

 しかし、ドアが開く音とともに聞こえてきたのは、

「こんにちはー」という明るすぎる声、そして、その声は言った。「なつかしー」と。

 なつかしい? 何が? 疑問符が浮かんだだけで答えをさがす時間はなかった。

「よくいらっしゃいました、友ちゃん!」うれしそうな父の言葉に、私は大口を開け、声を出さずにえーっと、叫んでしまった。

「俊は?」

「コンビニで買い物してくるから、先、行っててって言われて……」

「あいつ、ビールでも買いにいったかな。たくさんあるのになー。まぁ、いいか。さぁ、あがって、あがって」

「失礼しまーす」

居間のドアが大きく開き、父の後ろから彼女の顔がのぞくまでの長かったことといったら。

「綾ちゃん!」あの年齢であんなになつかしそうに私の名を呼んでくれる人といったらあの人しかいないから、私も、
「と、ともちゃん?」と、言うには言った。

 けれど、「そうよー!」と、言って微笑む彼女は、大口を開けて泣き、転げまわって笑い、猿のように木をよじ登っていた昔の友ちゃんではなかった。

 着古したトレーナーを見兼ねたのだろう友だちがくれた花柄のブラウスを着てはいたが、化粧もしていなければ髪もぼさぼさの私と違って、彼女はこの世で一羽きりのあでやかな蝶へと変身していた。

 間もなく兄もやってきて皆で食卓を囲んだが、アップした髪をゆらし、もともとは少し上がった目尻をくいっと下げて笑う彼女の周りはあきらかに空気が違っていた。

 色気むんむんとか、顕示欲が強そうというのとは違って、肉体の内側に宿る生命の源が、他の人より力強い確かな光を放っている、そんな感じだった。
 
 もっとも、あの日の私には、あの美しさを観賞するだけの余裕はなかった。

 年賀状やクリスマスカードをもらっても返事は出さず、おばさんの見舞いにも葬儀にも、初めての個展にも行かず、もう自分の人生には関係のない人だと思っていたかつての隣人、そんな彼女がいきなり兄の婚約者として目の前にあらわれたのだ。無視していただけでちゃんと罪悪感もあったぶん私の動揺は大きかった。

 逆の立場だったら間違いなく根に持つだろう、そんな思いから「綾ちゃん、変わってないねー」と、なつかしそうに話しかけられても緊張が解けず、ともかく早いところ酔っぱらってしまおうと、私はぐいぐいビールを飲んだ。

 「お父さん、どうしてお兄ちゃんの結婚相手が友ちゃんだって教えてくれなかったの?」友ちゃんの前でそう言いだせたのもアルコールがまわってきたから。

「なんだ、おまえ知らなかったのか?」と、すまして言ってから父はニヤリと笑った。

そして、友ちゃんは、
「いやだ綾ちゃん、俊ちゃんからも何も聞いてなかったのー」と、驚いた声をあげた。

もし、私も再会を楽しみにしているものと勘違いしていたなら、彼女はショックを受けていたかもしれない。

それでも、ほとんどやけになっていた私は、
「そう、全然知らなかったー!」と、大きな声で叫んだ。

 すべてがそんな感じ。
 
 ひさしぶりに再会したかつての隣人、そして、未来の義姉をもっと誠実に歓迎できなかったものかと悔いが残るが、もしかすると、私の不義理や投げやりな態度などは友ちゃんにとってみればたいしたことではなかったのかもしれない。

 「遠い祖母の家まで何度もきていただいて、私のほうからも、もっと早くご挨拶に伺おうと思っていたのですが……ここは思い出がいっぱいありすぎて……」
以前は自分の家が見えた窓をみつめ言っていた友ちゃん。

 彼女は私と違って、わぁーと泣くことはあっても尾を引いたり思い悩んだりすることはないのだろうと勝手に思い込んでいた。しかし、もしかしたら私以上に繊細なところもあったのかもしれない。

 「おとうさん、おとうさん」と、まとわりついていた彼女にとって父親の突然の死は想像以上に大きな出来事だったのかもしれないし、生まれ育った家を手放し親しい人たちと別れなければいけなかったことにも、たったひとりの家族である母親の死にも、私にはわからない深い痛みがともなっていたのかもしれない。

 おじさんから絵を教わっていた父をふくめた数名の男性たちは、毎年秋になると彼の墓がある、友ちゃんたちの引っ越した町へと出かけていたが、私が一緒に行ったのは小学校五年のときだけ。

 そして、母も彼女自身や彼女の母親の体調がすぐれなくて行けなかったことが何度かあった。

 けれど、そんな時でさえ、兄は、我が家の代表であるかのように土産の心配をし、あたりまえのように、父と一緒に出かけていった。

 彼の中に友ちゃんと会いたいという思いがあったのは確かだろうが、もしかすると、友ちゃんも、私には見せぬ顔を兄には見せ、甘えたりなぐさめられたりしていたのかもしれないと思うとちょっとうれしい。

 それにしても、引っ越していった友ちゃんが兄の結婚相手として我が家にやってくるまでに十八年という月日が経っているのはあまりに長い。

 現役で藝大に入ると彼女は学校からそう遠くないところにアパートを借り一人暮らしをはじめ、彼女に一年遅れて私立の美大に入った兄も通いきれずに三年生になった時点でアパートを借りた。ふたりのアパートは東と西に離れてはいたが同じ東京。会おうと思えば会えなくはない。

 しかし、中高時代の彼等が家族に内緒で会うのは不可能にちかい。それに、大学の研究科を卒業してから友ちゃんは数年、ヨーロッパに留学している。

 「ねぇ、いったい、いつから友ちゃんと本格的につきあいはじめたの?」と、今さら兄にはきけないからわからないことだらけ。

 けれど、四十過ぎても「俊ちゃん」「友ちゃん」と、呼びあっていたふたりを思うと、十八年の間にそれぞれが違う誰かを好きだった時期があったとしても、そんなことは、私の失礼な態度と同じぐらいたいしたことではなかったような気もしてしまう。

 何はともあれ、あの突然の来訪ののち、結婚式などの面倒な行事に参加することは一切なく、いつの間にか、友ちゃんは私の義姉となっていた。

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