3章 

 ことわっておくが、私たちが有名私立校の付属というわけでもないカトリックの幼稚園に通ったのは家から一番近かったからで、我が家はもちろん、友ちゃんのお父さん、お母さんもキリスト教の信者ではなかった。だから、赤ん坊のときに洗礼を受け、日々両親とともに祈り、日曜日にはかならず教会に通っていた真美ちゃんのような信仰心を私たちが持っているはずはない。

 もし、あの時、友ちゃんの部屋にあらわれたというのがとんがり帽子をかぶり手に杖を持った女の人だったなら魔法使いだろう彼女に会いたいと思っただろうし、忍者の格好をした少年であれば、私を馬に乗せて夢の世界に連れていってほしいと願ったにちがいない。

 たいがいの子供がそんなものかもしれない。でも、自分の場合は特別切実だったようにも思う。

 優等生であるはずが皆についていくのがやっとののろまな自分。人気者になりたいのに女の子の輪にどうにかこうにか加わっているような情けない自分。

 いや、それだけではなく、夢は持ちながらも一方では未来に対する漠然とした不安を感じていたのかもしれない。何はともあれ、はがゆい現実から自分を救い出してくれる異次元からの介入を小学生の私は心待ちしていた。

 けれど、友ちゃんには見えた妖精や天使も私には見ることはできず助けはあらわれぬまま、人生の転機、厄介な病の発症するときはおとずれてしまった。

 よく知られた症状としては汚れがとれない気がして繰り返し繰り返し手を洗うだとか、ガスの栓が閉まっていることを何度点検しても確信が持てず不安でたまらないといったことがあげられる、今でいう強迫性障害。

 一時的に精神が不安定となった状態を思いうかべ、病という言葉を大袈裟だと思う人もいるかもしれない。

 けれど、少なくとも私の場合はそうとしかいえない状態だったし、最初の症状である目に見えぬ棘があらわれてから日常は大きく変わってしまった。

 だが、肉体的な病気で倒れる人の多くに予兆があるように、発症前の自分は、頭が固すぎるだとか、要領が悪すぎるだとか、神経質だとか、すでに素因を充分持っていたようにも思うので、病にかかったことによって人生が百八十度変わってしまったとも、また、言い切れない。

 オギャーと生まれた瞬間からとはいわないが、いつからか、私は確実にあの病が発症するときに向かって歩きはじめていたようにも感じてしまうから。

 それでも、もし、ずっと染野家の三人がそばにいてくれたならばと、ここ数年の間に何度か思った。

 しかし、あのタイミングで別れがやってきたのも、シナリオ通りだったような気もするし、考えるだけ無駄なのだろう。

 四年生の晩秋、青く澄んだ空の下、黄色いいちょうの葉を踏みしめながら家に帰ると、目を赤くはらした母から友ちゃんのお父さんが亡くなったことを知らされた。

四十五歳、父よりも若く、友ちゃんを後ろからひょいと抱き上げ肩車していたおじさん。

 九月には公共の貸しスペースで、父たちと兄や友ちゃんたち、ふたつの教室の作品展示を同時に行ない、そこで皆とうれしそうに語り合っていた。

 あれから、おじさん自身が制作に取り組むため珍しく二つの教室は休みになったが、十一月に入り再開後の日程が知らされ、その最初の日は近づいていた。

 おばさんの話によると、前日の夕食後、「今夜で完成だ」と、言いながらアトリエにむかったおじさんが、いつ行ったのか友ちゃんと一緒に母屋にもどってきたのは、空が白みはじめたときだったという。

「友、おくれなくてわるいけど、父さん、一眠りするよ」

「うん」

 寝室にむかうおじさんも手を振る友ちゃんもとても穏やかで満ちたりた表情をしていて、いい絵が出来あがったのだとおばさんはほっとしたのだという。

 その後、友ちゃんはいつものように朝食をとり学校に出かけ、おばさんはいつものように洗濯物を干し掃除をし、けれど、頼まれた時間に起こしにいくと、おじさんは、もうすでに、ベッドの上で息を引き取っていたのだという。

 絵画教室を抜けてしまい、展示会場で最後に会ったときもほとんど会話を交わさなかった私でさえ、そんな彼の突然の死はショックだった。

 祖父が亡くなったときも行くには行ったのだろうが、通夜に連れていかれた記憶として残っているのはこれが最初。

 友ちゃんたちの悲しむ顔を見るのがいやでいやでずっと視線をそらせていたのだろう。「綾ちゃん、来てくれたの。有り難う」というおばさんのいつもと変わらぬ優しい声は聞いたのだが、隣りに座っていたはずの友ちゃんに関しては何の記憶も残っていない。

 それから数ヵ月後、桜が咲くまえに、男親の担っている役割をよくわかっていなかった私には予想できぬことだったが、おばさんと友ちゃんは、我が家の隣からおばあさんの待つ海の近くの町へと引っ越していってしまった。

 ずっとそばにいた人たちと離れ離れになってしまうのだから寂しくないはずはない。別れの日、母のように泣きはしなかったが、兄も私も、そして友ちゃんも、ほとんど口をきかなかった。

 「綾ちゃん、みんなで行った海の近くのあの家だから夏になったら遊びにきてね」友ちゃんと反対に少し下がったおばさんの目。

 優しいその目でみつめられて大泣きしたのは、学校でおもらしをしてしまった次の日のこと。母の前では、何も言わせまいと強がっていたのに、遊びにいって、たまたまふたりだけになったとき、突然、目から涙がこぼれてきて自分自身も驚いた。

 子供の私を、母よりもほっとさせてくれる存在だったおばさん。私には、彼女と別れるほうが友ちゃんと別れるよりずっとつらかった。

 助手席にふたりを乗せたトラックが走りさってしまってからも、取り残された我が家の四人は、主のいなくなった家の前に突っ立っていた。

 やがて、左斜め前にいた父の手が兄の頭を上からつかみ少し乱暴にくるくると回した。

 「さぁ、中に入ろう」父と兄が先に歩き出す。

 「お、もう開くな」父の声につられて玄関わきの木瓜のつぼみに目をやると、今にもはじけそうなほどぱんぱんに膨らんでいた。

 あの日すでに父は、染野豊が四十五年の生涯で残した作品のために、そして、彼の妻子のために、できるだけのことをやっていこうと決めていたのだろう。

  しかし、いよいよ病の発症するときが近づいていた私は、彼やおばさんのように人との関係を大切にしつづけることはできなかった。

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