10章

 自分の前世が知りたい、あの願いに再び火がついたのは、ひとつ感情の波を乗りきっても、次の波ではもろに飲まれて命を落とすのではないかと怯えるなか、一冊の本と出会ったから。

  それこそ『前世療法』というタイトルのついたその本は、日本では考えられないことだったが、アメリカの精神科医が自分の臨床経験をもとにして書いたものだった。
 
 そしてそこには、神経症と強迫観念に悩むキャサリンという女性が、催眠状態でいくつもの過去世と、生と生の間の中間生を思い出していくうちに、著しく回復していく経過が克明に記されていた。
 
 自分が男にふられてばかりで、そのたびに死んでしまいたいほど悲しくなる原因が前世にあるかどうかはわからない。

 けれど、幼児期に受けたトラウマのせいとはとても思えぬ、理不尽で強烈な不安を抱え生きていた私には、キャサリンが死ぬほどうらやましくて、自分自身も救われるには前世療法しかないと思えたのだ。

 しかし、将来、日本の病院で前世療法が受けられるようになる可能性が全くないとは言えないものの、少なくともあの当時は考えられなかったから、私が再び救いを求めたのは、やはり精神世界といわれる分野だった。

 はじめて関心を持ったときから、たかだか五年。それでも、本一冊探すのも大変だった最初とは大きく状況が変わっていて、私のもとにも、友だちの紹介でそういった関係のワークショップや個人セッションのお知らせが届くようになっていた。

 クリスタルを使ったりアロマを使ったり、ヒーリングセラピーは様々で、催眠やら呼吸やらを使い過去生を思い出し、そこで受けた傷を癒すというのもちゃんとあった。

 けれど、何度か無料体験セミナーに参加してはみたものの、過去世を思い出す気配は全くなかった。

 結局、安易といわれようが私が選んだのは特殊な能力を持つ人に自分の前世をみてもらい人生が好転するようなアドバイスをしてもらうこと。

 一時間六万五千円という個人セッションを多くの人は高いと思うだろう。
 
 しかし、食費ぐらいは家にいれるようになっていたものの、まだ贅沢というものをしらなかった私にはいつの間にか貯金もできていたから惜しくはなかった。

 過去世ばかりか今生における未来、そして来世までをも見通してしまうというアメリカ人M女史のセッションを受けたのは、渋谷から私鉄で十分ほどの町にあるマンションの一室。

 出迎えてくれたのは通訳の女性だった。

 そして、彼女がいれてくれたハーブティーを飲んでいるとき、隣りの部屋からM女史があらわれたわけだが正直に言おう。
 
「ハロー」と、言われても、私は彼女自身がM女史であることをなかなか受け入れられなかった。
 
 ニュースレターに載っていたストレートの長い髪が特徴的な彼女の写真からは、あれほど体格のよい女性があらわれることは想像できなかったし、年齢だって実物の方が二十歳以上は上だったから。
 
 椅子から腰を浮かせたものの何も言えないでいる私にむかってM女史は大きな右手を差し出した。「ハロー」と小さい声でつぶやきながら前に出したこの手を握ってから、彼女はもう一方の手をそっと私の背にまわし何か言った。

 救いをもとめる間もなく通訳の声。

 「とてもパワフルなエネルギーだわ。あなたはヒーラーなの?」

 現実の自分がぱっとしなければしないほど、ヒーラーなどと言われて舞いあがってしまうのは仕方ないこと。

 「ち、ちがいます」と、否定しながらも、真の自分にはその力があるのかもしれないとセッションにたいする期待がさらに高まった。

 席についたM女史は
「ちょっと待ってください」と、言ってから、目を閉じ肩が上下するぐらいの呼吸を繰り返してから
「OK」と言い、大きな目を見開いた。

「あなたのお名前を教えてください」

「山瀬綾子」英語は簡単な文章も書けないのでM女史の言葉は省略して通訳の言葉だけにさせてもらうが、こんな会話からセッションはスタートした。

「生年月日は?」

「一九六三年九月二十三日」

 私をじっとみつめてから、M女史は椅子の上で上半身をぐいっと右にひねり、無造作に束ねた髪の結び目、首の付け根あたりに左手をかざし「ここから」と、言い、その手を縦にしながらゆっくり側頭部にそって顔の前へと動かし、再び横にして左目をおおい、「この部分にかけて古いエネルギーを感じる」と、言った。

「左目は小さいときに斜視のため二度手術しています」と、私。

「その時の痛みや恐怖も残っているように思いますが……もっと古い時代の何かがあるような……。でも、今はそれが何なのかわからない。もしわかったらお伝えします。ところで、身体の左側というのは女性性と関連しているのですが、あなたは今の生で女性であることに違和を感じたことはありませんか?」

 王子様の出現を待ちつづけていた私は、こんな神経質で頼りない自分が男でなくてよかったと考えていたから、
「特には」と、答える。

「なぜ私が質問したかお話しましょう。前回女性として生まれたときというのが今生から数えて六回前になるのですが、その時、あなたは、家の仕事である熊の調教をしていました」

「熊?」

「そうです」

「はー」

「親が望むように男の子は生まれず、女であるあなたがするしかなかったのですが、あなたはとてもがんばった。けれど、背もそれほど高くなかったしかなりハードだった。冬の寒さも厳しいところで、四十代半ばで亡くなったのですが、あなたは死ぬまで自分が女性であることを恨んでいました。

それから五回続けて男性として生まれ、男性性を成長させ、そして、前回の生において、それをほぼ完成させました。

筋肉が盛り上がったたくましい男性の上半身を見て何か思うことはありませんか?」

「いいえ」

「あなたは砲丸投げの選手としてもかなりの腕だった」

「砲丸投げ……」

「結婚はなさってらっしゃいますか?」

「いいえ」

「あなたのように、何生にもわたり同じ性を経験して久々に違う性を選んできた場合、異性との付き合いがスムーズにいかず苦労することがあるのですが如何ですか?」
すでに確信しているような言い方に少々傷ついたが、全くそのとおりなので

「はい」と、答える。

「あなたと恋愛関係にあった男性たちの姿はなかなか見えてこないのですが……」

「一方的に盛り上がって、気がつけば相手は私のことなど何とも思っていなかったということばっかりで……」

 私がそう言うと、M女史は、おそらく私の悲しい過去を覗き見したのだろう。首を横に振り、あきれたように溜め息をついた。大声をあげ泣き叫ぶ姿でも見えたのだろうか。私は惨めな気分になった。

「あなたは、人は皆、一人だと寂しくて心細いものだと思っているでしょうが、孤独を感じるというのも今生の特徴でもあるのです。たった一人でカナダの森にこもり生活した生もありましたが、その時などは少しも寂しさを感じなかった」

「はー」

「ピアニストとして成功した過去生もあるのですが、おそらくピアノをひかないのでは?」

「はい、音楽は全くだめです」

「過去生でみがいた才能を新しい生でさらに開花させていくこともありますが、今生のあなたは、新しい経験をし、大きく成長するために、そういったことを、いったんきれいに忘れて生まれてきているようです。肉体的にも前世のようにたくましくないし、何の才能もない。誰かに助けてもらわなければ自分はだめだと思っている」

「はい、そのとおりです」

「幼い日のあなたが、お母さんは、女である自分より男である異性の兄弟、お兄さんか、弟さん、いらっしゃいますよね?」

「はい、兄がいます」

「そう、彼のほうを愛しているんだと感じていたこととも関係しているようですが、あなたは男の人のたくましさにひかれる一方で、まだ自分自身の女性性を受け入れられないでいます」

 わかるような、わからないような、そんなときは、「はー」という答えしかできない。

「あなたは女性として幸せな人生を送ったことがないわけではありません。
千五百年代、フランス、パリからそう遠くない農村。あなたはたくさんの子供のお母さん。旦那さんはとても陽気な優しい人。あなたは薬草の知識があり、怪我をしたり体調をくずしたりする人がいると治してあげたりもしていて、本当にたくさんの人に愛されていた。

私ばかり話をしてしまいましたが何か質問はありますか?」

 熊の調教やら砲丸投げやら、予期せぬ話に少々面食らっていたが、六万五千円払ってでもききたかったことをきかないわけにはいかない。私は、自分が、ヒーラーなどとはほど遠い人間であることがばれてしまうの覚悟で質問した。

「あのー、小学校の高学年から強迫神経症に苦しめられてきたのですが……自分が人を傷つけてしまうのではないかという強迫観念が物凄く強くて、包丁が苦手だったり、一時は駅のホームに立つと誰かを線路に突き落としてしまうのではないかととても不安になったりもしたのですが……」

「実際に行動をおこしてしまったことはありましたか?」

「それはないです」

「関係していると思われる過去生についてお話ししましょう。三つ前の転生です。あなたは、お酒を飲みすぎたのも原因のひとつでしたが、人生の後半、人から頭がおかしいと思われるような状態になっていました。何が起きていたかというと、魂と肉体のつながりが非常に弱くなり、肉体は路上にしゃがみ込んでいるのに魂はそこから抜け出し違う世界をさまよっている。そんなことが頻繁に起こるようになっていたのです。ですから、あなたと同じように世の中に恨みつらみを抱いていた善くない存在たちはたやすくあなたの身体を占領することができました。そして、残念なことに、その存在たちは、実際に、あなたの肉体を使って人を傷つけもしたのです」

「はー」

「ことを起こしてしまったあと、自分自身でも、なぜそんなことをしてしまったのか理解できなかった。それでも、罪悪感はとても強かった。今生のあなたは、あの時のように、他の存在に自分の身体を明け渡すようなことはしません。けれど、また同じことが起きるのではないかと恐れています」

話がぶっ飛んでいて、自分がすでに人を傷つけていたのだというショックもなければ、恐れの原因がわかったという感動もない。

「あなたは、たくさんの生を繰り返していますから、いくつかの生においてはあまり善くない人間でしたし、罪を犯したことも何度かありました。そういった過去に対してもやはりたくさんの罪悪感を抱いているようですが、もうカルマは返していますし、今生において、あなたが再び人を傷つけることはありません」

 今生において、私が人を傷つけることはない、誰かに言ってもらいたいと思いつづけていた言葉をM女史は言ってくれたわけだが、他の存在にあやつられ人を傷つけたという過去生と同じぐらい受け入れにくかった。

「他に質問は?」

 原因となっている過去世を教えてもらい理不尽な恐れを手放したい、長年いだいていた夢を叶えるため、さらに質問を重ねるのはやめ、別のことをきく。

「ともかく自信がなくて、人からちょっと注意されただけでも、自分のすべてが否定されたように思えて死にたくなるし、少しでもプレッシャーがかかるとすぐパニックになってしまうのですが……」

「三つ前の転生のときとはまた違うのですが、今のあなたもエネルギー的に、きちんと地に両足をつけ、しっかりとこの物理的な次元で生きているという状態ではありません。かなりハードな計画を立てて生まれてきたため、この世よりもあちら、スピリチュアルな世界に関心の多くがいってしまっていることも原因のひとつ。でも、それだけではないようです。幼児期に受けた、肉体的、そして精神的なショックも関係しているようにも思われますが、あなたの一部は肉体から離れてしまっている。そういったことは、孤独や自信のなさの原因にもなりますから解消したほうがいいのですが……。

そう、あなたの場合はマッサージなど直接肉体レベルに働きかけるボディーワークが有効なように思われます」

 M女史は全くでたらめなことを言っていたわけではなかった、と、今は思う。
 
 でも、あの頃の私は、ともかく生きることが辛くて自分がいやだったから、この世よりもあの世に関心がいっていると言われたことにはうなずけても、解決策としてボディーワークという言葉が出てきたことでは、セッションに対する失望感がさらに強まっただけだった。

「今、私には、」質問の言葉も出てこない私の前でM女史が再び口を開く。

「女神様かと思うほど美しい女性の姿が見えています」

私の頭に浮かんだのは友ちゃんだったが違っていた。

「どうやら、彼女はあなたの来世のようです」と、話は続いた。

「彼女の名前は……アリアナ。あなたが次に生まれてくるのはオーストラリアのようです。私はいろいろな国を飛び回っていますが、こんなに美しい女性を見たのは初めてというぐらい。とても魅力的な女性です。

あなたは、今生、激しくて、もう耐え切れないと思うようなマイナスの感情に悩まされることも多いでしょうが、それを乗り越えることによって、来世はもっと軽やかに生きていくことができます。

でも、来世のあなたに全く悩みがないというわけではありません。私を好きだと言ってくれる男性たちは、彼らが気づいていないにしても、ただ私の外見にひかれているだけなのだと悩んでいるのです。

今のあなたは、外見にコンプレックスを抱いているようですが来世のあなたは反対に美しいことが悩みの種となるようです」

 このように言われて、そうか私は来世、絶世の美女なんだと喜ぶ人がいたとしたらお目にかかりたい。

 今生の私が外見にコンプレックスを抱いているというのは透視ですか? それともあなたの推測ですか? と、ききたかったがもちろんきけるわけはない。

 いかにも興味津々という顔をして話をききつづける。

「今のあなたと彼女には共通点があります。それは、無条件に自分を愛してくれる存在、子供がほしくてたまらないということです」

 来世はともかく今の自分に関しては図星だったので、私は照れ隠しに「あはは」と、笑った。

 しかし、M女史の口元がゆるむことはなかった。

 彼女は大きな目を細め、じっと私を見つめつづけた。

 やれやれ、今度はどんな過去、あるいは未来が見えたのだろうか。私は、きついことを言われるの覚悟で彼女が口を開くのを待った。

 しかし、しばしの沈黙の後、M女史はあっさりと言った。
「さぁ、そろそろ時間ですから最後の質問をしてください」

(えー、ちょっと待ってよ)心の中で舌打ちした私だったが、すぐにいやな予感がしはじめた。

 来世までもが見えてしまう彼女のことだ。
これから私に起こることが見えたものの、私が望んでいることとは違うからあえて口を閉ざしたのでは? 

 誰も愛してくれないから子供がほしいなんて、そんな自分勝手な夢はやはり叶わないのだろうか?

「きけばよかったと後悔しないように、何でもいいですよ」珍しく優しいM女史の言葉。

 私がききたかったのは過去生で未来ではない。未来は私が作るもの、望まぬことを言われたって困ってしまうだけ。躊躇していた私の口から質問がぽろりとこぼれる。

「子供は持てますか?」

 彼女は再び目を細めて私をじっとみつめる。どうやら、私の未来をすでに見ていたわけではないらしい。それでも、もう質問を取り消すことはできない。えらく緊張した時が流れた。

「ええ、あなたは子供を持ちます」

「あー、よかった」私は胸に手をあてほっとしたというゼスチャーをしてから、ぺこりと頭を下げた。

 (本来の目的は果たせなかったがこの言葉をきけただけでよしとしよう。
子供を持てるということは、あと数年のうちに王子様があらわれるということでもあるのだし)私が、M女史にききたいことはもうなかった。

 ところが、まだ時間が残っていたようで彼女は再び話しはじめた。

「あなたは、結婚式の夢を見たことがありますか?」

「はい。自分の結婚式で相手の男性を見て、この人じゃないとあせる夢を何度か」答えてから、たいしたことではないとアピールするため「あはは」と、笑った。

 しかし、M女史は言った。
「よくわかります」と。

「あなたは皆と同じでありたいと常に思っているし、自分のことを一番に愛してくれる、自分が産んだ、自分の子供がほしくてたまらない。でも、子供はいくつになっても産めるものではありません。ある男性があらわれたとき、あなたはあせっていて、自分自身に言いきかせます。胸のときめきはないけれど彼こそが運命の人なのだと。けれど、結婚式のときには、すでにお互いの心は離れてしまっています。残念ですが、結婚式でこの人じゃないとあせるというのもよくわかります」

 断定的な彼女の言い方は、そんな未来はいやです! 未来を変えるにはどうしたらいいのですか? と、質問する気力さえ私から奪っていた。

 「けれど、彼は、少々アルコール、お酒の問題を抱えてはいますが、経済的な面では家族に苦労させませんし、何より、娘さんがあなたの心の支えとなってくれます」そして、M女史は最後の言葉をのべた。

 「ただ、若い頃に夢みていた結婚生活と違うのは残念ですが……」

 こうして夢みつづけてきた霊能力者によるセッションは終了した。

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